2022年12月 近郊の寺 Photo
この写真は、2022年12月 弘明寺 Photo List の一例です。
弘明寺は、神奈川県横浜市南区弘明寺町にある高野山真言宗の寺院。
瑞應山蓮華院と号し、横浜市内最古の寺院である。
本尊の木造十一面観音立像は国の重要文化財。
寺名は町名や駅名などにも広く使われ、
江戸時代から1889年までは一帯を弘明寺村と呼んでいた。
所在地: 〒232-0067 神奈川県横浜市南区弘明寺町267番地
開業: 1044年 創建年: 伝・737年(天平9年)
宗派: 高野山真言宗 山号: 瑞應山
文化財: 木造十一面観音立像(重要文化財)
本尊: 十一面観世音菩薩
札所等: 坂東三十三観音 第14番; 武相不動尊 第18番
川崎大師 Photo
この写真は、江戸時代中期の川崎大師『東海道名所図会』 Photo List の一例です。
今を去る890年前、崇徳天皇の御代、平間兼乗(ひらまかねのり)という武士が、
無実の罪により生国尾張を追われ、諸国を流浪したあげく、
ようやくこの川崎の地に住みつき、漁猟をなりわいとして、
貧しい暮らしを立てていました。
兼乗は深く仏法に帰依し、とくに弘法大師を崇信していましたが、
わが身の不運な回り合せをかえりみ、
また当時42歳の厄年に当たりましたので、日夜厄除けの祈願をつづけていました。
ある夜、ひとりの高僧が、兼乗の夢まくらに立ち、
「我むかし唐に在りしころ、わが像を刻み、海上に放ちしことあり。
以来未(いま)だ有縁の人を得ず。
いま、汝速かに網し、これを供養し、功徳を諸人に及ぼさば、
汝が災厄変じて福徳となり、諸願もまた満足すべし」
と告げられました。
兼乗は海に出て、光り輝いている場所に網を投じますと一躰の木像が引き
揚げられました。
それは、大師の尊いお像でした。
兼乗は随喜してこのお像を浄め、ささやかな草庵をむすんで、朝夕香花を捧げ、
供養を怠りませんでした。
その頃、高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上たまたま兼乗のもとに立ち寄られ、尊いお像と、
これにまつわる霊験奇瑞に感泣し、兼乗と力をあわせ、
ここに、大治3年(1128)一寺を建立しました。
そして、兼乗の姓・平間をもって平間寺(へいけんじ)と号し、
御本尊を厄除弘法大師と称し奉りました。
これが、今日の大本山川崎大師平間寺のおこりであります。
法灯をかかげて、悠久ここに890年、御本尊のご誓願宣揚と正法興隆を
目指す根本道場として、
川崎大師平間寺は、今、十方信徒の心からなる帰依をあつめています。
この写真は、御本尊弘法大師 Photo List の一例です。
川崎大師に奉安する御本尊は、弘法大師空海上人の御尊像です。
お大師さまは、今から1,240余年前にご誕生になり、
日本に真言密教の教えを広められた偉大な聖人であります。
その一生は、国家安穏・済世利人のために不惜身命の努カを尽くされ、
様々な方面に大きな足跡を遺されたことから、日本仏教の柱、
日本文化の父とも仰がれております。
そして、ご入定後 1,180余年の今もなお、私たちの心の、
また生活のよりどころとして仰がれ慕われています。
お大師さまの教え(真言密教)は、私たち一人一人の人間が現世の迷いから
「心の目」を開き、現実生活の中に仏(目覚めた人間)
となることを説かれた「即身成仏」の教えです。
お大師さまは、そのご誓願の中で、「我が後生の門徒、たとい我が
現相を見ずといえども、我が形相を見るごとに真に我に逢えりと思い、
我が教えを聞くごとに真に我が言音を聞くと思わば、
我定恵の力を以って摂取して捨てず」と仰せられています。
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